途切れた声 1
C.E.70 2月14日。
生涯忘れることのない日が、やってくる。
戦争中ということを忘れてしまえるほど、の日々の暮らしは一見穏やかだった。
変わったことといえば、ニュースに戦況の知らせが増えたことと、父が入院していること。
そして今までユニウス市に単身赴任していた母がアプリリウスの別邸に戻るよう支度を始めたのでその手伝いをしていること。
何も手につかない状態から脱したは、母の手伝いの作業のおかげで父の入院のことばかり考えることがなくなったので、
気を紛らわせることができてありがたかった。
ニコルもずっと心配させているし……そろそろ学校に再び通えそうだ。
の短期出張の話が入ったのは、そんな十二日の夜のことだった。
「視察?」
「うん、ユニウス市の農業プラントの成果を見にね」
夕食後のお茶の時間。カップの中の紅茶を一気に飲み干して、が困ったように笑う。
「泊まりなんだよねぇ……」
「別に珍しいことじゃないじゃない」
「そうだけどね、タイミングが悪いよ。今はあまり家を空けたくないのに……」
俯いてポツリとが零した言葉には反応出来なかった。
「、一人で大丈夫? 母さんもこっちに戻る準備をしているとはいえ、まだ終わっていないし……」
兄の顔には「が心配だ」とはっきりと書いてあるようだった。
「二、三日のことでしょ、大丈夫。しっかり視察してきて」
は後ろ髪を引かれる思いで、十三日の朝にユニウス市への視察へと出発して行ったのだった。
***
二月十四日。
朝食を終えたところで、から通信が入った。
「おはよう。昨日の夜は通信出来なくて。そっちは変わりない?」
「大丈夫。これから父さんのところに行こうと思ってて」
「そっか。今日、なるべく早く帰るから」
「急いで何かあったりしたら嫌だから焦らないでね。帰ってきてくれればいいから」
「うん、そういえば母さんに会ってね……」
その時、通信の向こうからドンッと大きな音が響いた。
「兄さん? 今の音、何?」
「わからない……確に……、また……する……」
の声が途切れ途切れに聞こえ、そして──通信はそのまま切れてしまった。
何度か通信を試してみても繋がらない。こんなことは初めてのことだ。
通信機の故障かと別の場所に繋がるか試してみたら問題なく通信が行えてしまった。どうやらユニウス市にだけ繋がらないようだ。
こんなこともあるのかと思っていたところ、付けっ放しだったテレビからニュース速報が流れた。
「現在、ユニウス市の一部への通信に障害が発生している模様です」
今通信が繋がらないということは、その一部に含まれてしまったらしい。復旧するまでにどれくらいの時間がかかるのだろうか。
父へのお見舞いの支度をしている間に直ったりしないかなと、希望的観測を持ったまま、は支度を進めた。
家を出ようとしたところで、の通信機が鳴った。
からかと思ったら、端末に表示されている名前は父の秘書──エドガー・アンデルからだった。
母や兄に直接連絡があるならばともかく、に連絡が入ることは珍しい。
「はい」
「あぁ、繋がった!」
通信機の向こうからほっとした声が聞こえた。後ろがガヤガヤと賑やかだ。
「どうしたんですか?」
「奥さんとお兄さんとの連絡がつかなくて。そちらでは連絡取れていますか?」
「さっきまで兄と通話していたのですけど、切れてしまって。ユニウス市の一部で通信障害が発生しているってニュースが流れましたけれど」
「一部で通信障害? そんな……え? 今情報が入った?」
どうやらタイムラグが発生していたらしい。
「繋がらないのはそれが原因か……? それはともかく、さん、落ち着いて聞いてください。
まだニュースは流れていませんが、本国の最終防衛ライン近くで地球軍との戦闘が発生したと情報が入っています。
念のため地下のシェルターが大丈夫かどうか確認してください」
一瞬、何を言われたのかを理解しようとする脳みそと、理解したくないという気持ちが反目しあった。
「え……戦闘……?」
確かに今は戦争中だ。しかし、戦争なんてもっと遠くの出来事だと思っていた。
ましてや開戦直後に、本国の近くまで攻め込まれているなんて考えてもみなかった。
報道管制が敷かれているというが、そのせいなのだろうか。
「急なことですが。念のため地下のシェルターの確認を」
議員の家──一定以上の地位に就いている者の大体の家には地下にシェルターが設置されている。
昔戦争で使われたという核攻撃にも耐えられると言われてはいるが、格納されている物資の確認以外に普段は意識することのない場所だった。
使用人に地下のシェルターにすぐ逃げ込むとしても問題はないか確認するよう頼み、エドガーと二言三言交わして──確か交わしたはずだった──通信を切った。
と通信はまだ繋がらない。
父の見舞いに行くつもりだったが、外出は控えた方がよさそうだ。
テレビの前のソファに座りこみ、ニュースを見ようとしたが、どのチャンネルでもニュースはやっていなかった。
先ほどエドガーは報道管制が敷かれていると言っていたけれど……テレビの中は至って平和だ。それが却って恐ろしさを増している気がする。
今は両親も兄もいない。自分がしっかりしなければと、は己に言い聞かせた。
少し時間が経ち、再び始まったニュース番組を食い入るように見つめる。
先ほどエドガーから聞いた戦闘のニュースはまだ流れていないようだと思ったところで、また通信機が鳴った。
先ほど通話したばかりの、エドガーからだった。
「さん!」
先ほどと違い、随分と焦っているようだ。
「さんと今朝話した時、居る場所を聞きましたか!?」
聞いたことのない大声で話されて、思わずびっくりしてしまう。
「宿泊しているホテルだというくらいしか……ちゃんとした場所までは……」
エドガーの声があまりに大きすぎて、自分の声が随分と小さく聞こえる。
「では奥さんの居場所はご存じですか?」
「そちらもきちんとした場所は……ただ、兄が母と会ったと……」
あぁ、と通話の向こうでため息とも嘆きとも言える声が聞こえる。
先ほどの通話の時よりも背後の声が一層賑やかで、うるさいくらいだった。
「あの、何かあったのですか?」
「……落ち着いて聞いてください。確かな情報です。先ほどユニウス・セブンが核ミサイル攻撃により壊滅しました。
さんの視察の予定だと、ユニウス・セブンに居た可能性が高いです。
奥さんも、研究室に確認したところユニウス・セブンに居たはずだと……」
「………………………」
あんまりな情報だ。あんまりな情報で、すぐに理解することは出来ない。
通信機を耳に当てたまま立ち尽くすを心配して、使用人が声をかけてきたが、
今のは返事をすることはできなかった。
「そんな……まさか……そんなこと………」
通信の声も耳には入るが、言葉としては認識できない。
エドガーからなんと声をかけられたのか分からない。気が付いたら通話は切れていた。
は体が固まってしまったかのように微動だにせず、通信機を耳に当てたままただ目の前のテレビを見ていた。
が、兄が、死んだ? ユニウス・セブンに核攻撃? 母も死んだ? 核攻撃で?
「お嬢様……?」
耳に入った使用人の声にすごく驚いて、ビクリと大きく肩を震わせた。そうして、体の緊張がほどけてその場に座り込む。
「……まさか……そんな、まさか……」
兄が、母が死んだなんて……こんなのは、何かの間違いではないのだろうか?
ついさっきまで話していたのだ。いつも通りだったのだ。
テレビの中のニュースは戦争のことは伝えていない。
プラント本国が核攻撃を受けたというのに、テレビの中は平和だった。
通信で聞いた話とまるで反対で、おかしく感じられてしまうほどに。
「嘘でしょう……」
誰ともなしに呟いた言葉は、テレビの音声の影に隠れて消えていった。
誰かに嘘だと言って欲しい。は座り込んだまま、一歩も動けなかった。