翳りゆく日々 1

C.E.69 10月。

「本日の雨の時間のお知らせです」
壁に埋め込まれたモニターからニュースが流れている。 確か十分程前にはどこかの議員の娘の話題だった気がするが、新聞を眺めている間に天気の予定に変わったらしい。 モニター前にあるソファにゆったりと腰をかけている青年は、テレビをちらりと見た後、また新聞に視線を戻した。遺伝子を研究している知人のインタビュー記事だった。

「タイムインフォ」
茶髪の青年──がそう言うと、モニターは「現在、午前六時三十分です」と現在時刻を告げた。午前六時三十分。 朝に弱いの妹、が起床の目標としている時間だ。 目標の時間とは名ばかりで、はこの時間に自分で起きられたことはほとんど無い。 タイムリミットまであと十五分。メイドに持ってきて貰ったコーヒーのおかわりを飲みながら、は再び新聞に目を落とした。

「午前六時四十五分をお知らせします」
朝の時間は夜の時間よりも何倍も早く過ぎて行く。さて、妹を起こしに行く時間だ。 はそっと立ち上がると、新聞を折り畳んでソファに置き、小さなリビング──両親が不在の時には階下にあるメインダイニングではなく、私室と同じ階にあるこちらを利用している──を出ての部屋を目指す。 15歳と言えばもう立派な成人女性だというのに、にはまだかなり幼さが残っている。 起きられないからと起こしてしまう自分も自分なのだろうが、離れて暮らすようになるまでこれくらい甘やかすのは良いだろうと随分昔に結論づけていた。 は少し歳の離れた妹が大切で可愛くて仕方が無いのだ。

コンコン、と二回のノックの後ドアを開ける。 サイドテーブルの上には無造作に何冊かの本が積み上げられている。 部屋の奥に位置しているベッドの上で、は安らかに眠っていた。
「さぁ、朝だよ、起きて」
眠る妹の肩を揺らし起床を促す。は唸りながらも一応返事を返した。 自分で起きるのを待っていては、寝起きの良く無いは昼近くまで起きない。
「まだ寝る……」
「学校に遅れるよ、今日は一限目に地球史があるんだろう?」
はようやく目を開けた。
「んー……」
反応が薄い。どうやら昨夜は中々に夜更かししていたようだ。 二度寝されてはたまらないので、の手を引き無理やりに洗面所へと連れていった。 顔を洗わせるとようやく目が醒めたようで、きちんと視線が合う。

「兄さん、時間は良いの?」
「ああ。一緒に朝食にしよう、リビングで待っているよ」
「はーい」

パタリと扉が閉まり、一人になった部屋ではいそいそと身支度を始めた。
下位議会の議員を勤めている兄、が朝ゆっくりとしているのは珍しい。 たまには自分の方が早くに起きて驚かせてみたりしたいが、いつも想像するだけで終わってしまう。 そしてまた今日も甘えてしまった。 服を着替えながら昨夜のことを思い出す。 眠る前に読み始めた本が日付を越えたあたりから終盤に差し掛かり、先が気になって一気に読み切ってしまったのだった。 眠る時に確認した時計は三時過ぎを指していて慌てて布団に潜り込んだ。 寝不足で辛いが、読了後の達成感でとても気分が良い。

しかし、いくら兄が許してくれていると言ってもいつまでも甘えて起こしてもらう訳にはいかない。 幼なじみのニコルにもまた呆れられてしまう。 は明日こそ自分の力で早めに起きよう、今日は早めに寝よう、と実現度の低い決意を固めてリビングへ向かった。

「ユニウス・ファイブで新しい穀物の生産に成功し、今後は安価、また短期間で生産が可能になると期待されています」
モニターから流れてくる朝のニュースに見慣れた顔が映っている。 近年出来たばかりの、ユニウス市で農業の研究を行っている母の写真だった。
「おはよう、兄さん」
「おはよう、
がリビングに着いた時、テーブルの上には朝食の準備がすっかり整っていて、が来るのをコーヒーを飲みながら待っていた。 向かい合わせでテーブルに着くと、同時に「頂きます」の挨拶をして食事を始める。 友人や知人には珍しがられるこの挨拶は、東アジア共和国出身の母の実家での文化らしい。 物心つく頃に数度会ったことのある母方の祖父母はナチュラルだったが、プラントに移住し、そしてプラントで人生を終えた。

「この様子だと、母さん、暫くは忙しそうだね」
ふとが漏らした言葉を聞いて、二人は視線を合わせた。
「そうだね。でも研究が進んだのは良かった」
二人の母、はプラントで使用する農業機器を生産する会社を運営する傍ら、開発した機器を使用した農業の効率化を研究していて、一年の殆どをユニウス市にある農業用プラントで過ごしていた。
「美味しいものが食べられるようになるなら嬉しいしね」
「それは確かにそうだ」
は小さな笑いを零しながら、ベーコンエッグを口に入れた。
「小麦の生産量が上がったらお菓子とか安くなるかな
「なかなか気の長い話だな」
「未来の議員さま、お願いします」
「僕の強い分野じゃないなぁ」
軽口を叩きながら朝食を終えると、二人は一緒に家を出た。



***



職場へと向かう兄を家の前で見送り、アプリリウス市行きの循環シャトルに乗り込む。 アプリリウス・スリーの学校へ向かう途中で、見知った緑色の頭を見つけた。
「ニコル、おはよう」
「おはようございます、。朝のニュース見ましたよ、おばさん、おめでとうございます」
「いやいや、ありがとうございます」
歩きながらも丁寧にお辞儀を交わす姿は端から見たらどう思われるかと考えると少し面白い。
ふと、はニコルの両手が荷物で塞がっていることに気がついた。
「何か今日荷物多いね」
「そうなんですよ、資料が多いのが重なって」
「あ、地球史の資料、新しいのを借りに行かなきゃいけないの思い出した」
「それは良かったです」
一限目は選択の授業が違うため、とニコルは校舎に入って直ぐに別れた。

地球史の授業を選択したのは母方の祖父母から地球の話を聞いていたことに由来する、完璧にの趣味だった。 ニコルも大好きな音楽の授業を取ってはいるが、将来は父親の跡を継ぐことを考えてそちらの授業をメインにしている。 選択科目を見せ合ったときに自分のものとまるで違ったので面食らってしまい、将来について特に何も言われていないことに少しだけ申し訳なさを覚えた。 やニコル、所謂親が最高評議会の議員の長子となるとあまり将来の選択肢が多いとは言えない。

も昔は遺伝子の研究をしていたが、ある時キッパリと辞めて議員の仕事に就いた。 その後兄は遺伝子の研究なんてしていなかったかのように振る舞うのでいいのかと聞いたこともある。 それなのに自分の授業の選択について相談したら「好きに選べば良い」なんて言うから余計に悪いような気がしてしまう。 兄が父の仕事を継ぐのなら自分は母の仕事を継ごうかとその方面の授業も選んでは居るが、その事にもやはり何も言われてはいない。 長子と次子というだけでこんなにも変わるものなのか――と考えたところでチャイムが鳴り、地球史の授業が始まった。



***



「レポートの提出は来週まで、忘れないように」
またレポートの作成か。 一日の授業を終えては小さくため息をついた。 まだ途中の地球史のレポートもあるのに、更に新しい課題が増えてしまって気分が少し落ち込む。 とは思うものの、学生のレポートでも出来の良いものは議会などの上層部へと送られることもあるので適当に済ますことは出来ない。

地球からの独立を目指しているプラントに取って、不足していないものを挙げた方が早いくらいに現状はよろしくなく、ありとあらゆるものの整備が急務だ。 その昔五歳の子の意見が採用されたこともあるというし、母も以前見学に来た学生の意見で研究が進んだと話していた。 そのため、ロボット工学などの必修科目にはレポートの作成が求められることが多い。 やり途中の地球史のレポートもあるし、あまり数を溜め込むとやる気が出なくなってしまう。 早くレポートを終わらせなければと、は必要な資料を借りに資料室へと向かった。

プラント成立後の資料は粗方データ化されているので探すのは簡単だが、地球の、それも西暦時代のものとなると大半はデータ化されていないので、直接本を確認するしかない。 ページを捲る感触は嫌いではないが、あまりにも量が多いと途方にくれてしまう。 帰りは今朝のニコルのように大荷物になるかもしれないなぁと思うが、はページを捲る以前に躓いた。

探していた分野の資料がごっそりと無い。 地球史のレポートは好きな地域や国を選べるもので、先生にもマイナーと言われた場所を題材に選んだため、誰かと重なって借りられたという可能性もあまり無いように思う。 出鼻を挫かれたような気持ちで、は司書のところに向かった。

「あなたが探している資料ね、研究会の人たちがまとめて借りていっているわよ」
「あー……なるほど……」
「離れ校舎の二階にあるところ。返却日過ぎているけど戻ってきて無いから、急ぎなら直接取りに行った方が早いかも」
「わかりました、行ってきます」
災難ね、との司書さんの言葉を背に、は資料室を後にした。



離れ校舎の研究会のとこにあるなんて運が悪い。 本校舎と離れ校舎はそこそこ距離が離れているし、卒業生も出入り可能な研究会の活動場所として利用されているので、そもそも行ったことも無い。 勝手がわからない場所で余計に時間がかかりそうだと思ったが、目的地は階段の真横にありあっさりと見つかった。 ドアも開けっぱなしで、入りやすいことも幸いだった。

「すみませーん、お尋ねしたいのですけれども……」
開いていたドアから顔を覗かせて少し小さく声をかけてみたが、何も反応が無い。 近くにあるテーブルにはノートや筆記具、小型の端末があるため人は居そうだが、奥には本棚がいくつもあり人の姿は見えなかった。

「どなたかいらっしゃいませんか?」
少し声を大きくして再度問いかけると、本棚の陰から一人の男性が顔を出した。 切り揃えられた銀髪に端整な顔立ち。 はその人物──イザーク・ジュールを知っていた。
と同じく、最高評議会の議員を親に持つため、何度となく顔を合わせていた。

「何だ?」
「本校舎の資料室の資料を探していて、こちらに貸し出されていると聞いて来たのですけれど」
の言葉を聞いた瞬間、イザーク・ジュールの顔が歪んだ。迫力があるため身構えてしまう。
「少し待て。おい、イアン!」
よりも大きな声を出して、イザーク・ジュールは本棚の奥に行き、一人の男を連れて戻ってきた。
「いやー、わざわざごめんね、どの資料?」
「赤道連合の旧タイ王国の資料です。何冊かこちらにあると司書の方が」
「あー……確かに前見たな……ここにあると思うけど……探すの待っててもらっても大丈夫?イザークも探すの手伝ってくれ」
大きなため息を吐きながらも、イザーク・ジュールとイアンという人は資料を探し始めた。
二人に探させて手持ち無沙汰にしているのも申し訳ないため、も手伝うことにした。

「手伝います」
「ごめんね。ここの資料じゃないから本棚には入れないし、散らかっている本の山の中にあると思う。 テーブル近くのところを頼んでも良い?」
「わかりました」
「おい、何度目だ。もっと返却を徹底させろ、迷惑だろう」
「言ってはいるんだけどなー。何か対策しないとダメだね」
「そもそも俺は部外者だぞ」
「…………」

二人に背中を向けている形で良かった。あまり気まずくない。 要件を伝えた時から急に不機嫌になられたので、まるでこちらが悪いことをしている気分になる。 そもそも返却日を過ぎているのに返却されていないことが問題だったのに。


「あー、あったあった!これだよね?」
資料の捜索を始めて十分ほど、イアンという人が目的のものを見つけた。 表紙に貼り付けてあるラベルが確かに資料室のものだ。
「それです、ありがとうございます」
本のタイトルを確認しながら、三人ともほっと息をついた。
「全部返却日過ぎているじゃないか……九冊も……これは本当に申し訳ない……」
改めて頭を下げられて恐縮してしまう。と。
「イザーク、これ返却してきてもらっても良い?」
「おい!」
「君はもう用事が終わった、俺はまだ作業が残ってる、この九冊のなかなかに重い本を彼女一人に持たせるつもり?」
イザーク・ジュールの顔がまた酷く歪んだ。

先ほど部外者と言っていたし、これ以上彼を巻き込むのも申し訳ないので遠慮しようとしたが、 「今度お礼するからさ」とイアンに肩を叩かれてイザークは9冊の本を持ってくれた。


イアンに挨拶をして離れ校舎を出たのはいいが、とイザークの間には気まずい空気が流れていた。
イザークに9冊も本を持たせるのも悪いので何冊か受け取ろうとしたのだが、断られてしまった。 荷物持ちにしているようで申し訳ない、というか実際に荷物持ちにしている。 確か彼は兄と同じ下位議会の議員をしていたはずだ。 たまの休日に無関係な資料探しを手伝わされた挙句に借りてもいない本を離れ校舎から本校舎まで返却しに行くなんて、中々に不運だ。

「あの……今日は、お休みなんですか?確か下位議会の議員をされていましたよね」
「あぁ」
短い返事で会話が途切れてしまった。 本校舎の資料室までの道のりが長い。 話題になることも無いし、もう資料室まで無言でいようとイザークの隣を歩きながら思ったところで、意外にも向こうから話しかけてきた。
の妹だろう」
「兄をご存知ですか」
「同僚だ、知らない訳が無い」

は少し返答を間違えた。 彼と兄は確かに同僚なのだから知らない訳が無い。 イザーク・ジュールが、自分のことをの妹として知っていることが驚きだった。 わざわざ訂正するのもどうなのだろうと考えている間に資料室に到着し、イザーク・ジュールは本の返却作業をして資料室を去って行った。

は九冊の本の中身を確認し、その中の四冊の貸出手続きをして帰宅することにした。 手続きの際に、先ほどの司書さんに未返却の本が戻ってきたことのお礼を言われて、苦笑いしつつも帰路につく。
何だか予想外の出来事があり気疲れしてしまった。 家に着いてからおやつでも食べて少し休憩してからレポートにとりかかろう……そんなことを思いながら、は帰りのシャトルに乗り込んだ。